今日、2011年12月26日(月)は今シーズン一番の寒さでした。
滅多に雪など降ることがない豊橋でも、朝はほんの少し屋根に白い雪が見られました。
クリスマスだった昨夜の夜更け過ぎに少し雪が降ったのでしょう。
寒い日には暖かいものをお昼に食べたくなります。今日の昼食はよく私が行くおうどんの「めん処 篠島屋」に伺いました。
午後1時を過ぎた時間でしたが、いつものように満席で、順番待ちの4番目でした。順番待ちの用紙に「スガヌマ 大人1」と書き込んで順番を待っていると、私の順番の後に、ミズノのスポーツウェアーを着た坊主頭で髭を蓄えた20代?の男性が並びました。
「どこかで見たことがある人だな?」と思いながら順番待ちの用紙に目をやると
「コンドウ」と書かれています。ピンと来ました。
地元、東三河出身のJリーガー ヴィッセル神戸の近藤岳登選手でした。思ったほど大きい体格ではなく、背丈は私とほとんど変わらない170cmほどでした。
彼に「ヴィッセル神戸の近藤選手ですか?」と声を掛けると「はい、そうですと」ニッコリと微笑んでくれました。そして、「来年も頑張って下さいね!」と手を出し握手を求めると、「ありがとうございます」とまた笑顔で握手に応じて下さいました。
満席の「めん処 篠島屋」には私以外に彼を知る方はいないようでした。
同行されていたお年を召した女性(彼のおばあさま?)に優しく声を掛けながら気遣っていました。そして、彼は鳥南蛮そばと天重を頼み、運ばれてくると「俺、これがだいすきなんだよね〜」と嬉しそうに豪快に食べていました。
僕の帰り際に、私に向かってニッコリと笑いかけ会釈をされました。
礼儀正しく、お年寄りに優しく気配りをされているところに好感を抱きました。
彼は今年はヴィッセル神戸での背番号も23番から2番になり、リーグ戦19試合に出場し、ほぼレギュラーをつかみました。
坊主頭に口ひげの強面の風貌にに使わない、笑顔が素敵な、心優しい好青年のヴィッセル神戸の近藤岳登選手が益々の活躍を期待しています。
彼の経歴はWikipediaによると、
近藤岳登(こんどう がくと、1981年2月10日 - )は、愛知県豊川市出身のサッカー選手。ヴィッセル神戸所属。ポジションはサイドバック。
高い身体能力を持ち、切れ味抜群のスピードで裏への飛び出し、サイドバックへ転向してからは果敢なドリブル突破でチャンスを作り出すプレーが光る。
高校時代は2年連続で国体メンバーに選ばれるものの、大阪体育大学は1ヵ月で中退。サーフィンやスノーボードに明け暮れる日々を過ごす。
しかし、「遊びでは満足できず、自然に体がサッカーを求めた」と、2001年、地元の社会人リーグのチームに入り、サッカーを再開。2003年にはびわこ成蹊スポーツ大学に入学し、2年連続で関西学生選抜に選ばれる活躍を見せる。
その後、2007年にヴィッセル神戸に入団。26歳にして新人という異色の選手であり、注目されていたが前十字靭帯損傷によりシーズンを棒に振った。2008年はサイドバックにも挑戦している。同年、8月9日のアウェイ・ジュビロ磐田戦で念願のリーグ戦デビューを果たした。2009年の夏場にサイドバックで出場機会を得ると積極的なドリブルでこの時期神戸は上昇気流に乗った。2010年7月25日の大宮アルディージャ戦でJ初得点を記録。解説の山野孝義はワールドカップで活躍したブラジルのマイコンの名前を挙げて「和製マイコン」と評価した。
2011年は低調なパフォーマンスが続く時期もあったが、終盤には石櫃洋祐から右サイドバックのレギュラーを奪い、自己最多となる19試合に出場した。
エピソード [編集]
- 神戸では明るいキャラクターでムードメーカーを努めている。サポーター人気も高い。
- 鹿島戦後にサポーターとともに神戸讃歌を歌い始め、現在は神戸のホームゲームで勝利を収めると必ず行われている。
- かつては夏ごろに活躍し、夏の終わりに怪我で離脱していたことから、チームメートから「セミ」と呼ばれた時期があった。
所属クラブ [編集]
- 愛知産業大学三河高等学校
- 大阪体育大学
- 2001年-2002年 東海理化
- びわこ成蹊スポーツ大学
- 2007年 - ヴィッセル神戸
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